2012年4月11日水曜日

台湾は親日なんて誰が言ったのか?: 不条理日記


 4月5日にNHKで放送された「JAPANデビュー 第1回 アジアの"一等国"」は、多くの資料と証言を交えながら「親日的とも言われる台湾人に今も残る日本統治の深い傷」を検証していた。
 かなり古い話だが知人が数ヶ月台湾に出張したことがあり、「台湾は韓国や大陸中国みたいな反日じゃない。日本語を話せる人が多い。ホテルのヤモリには参ったw」と語っていた。実際この番組でもNHKの取材で公園に集まった老人たちが「私は元日本軍兵士であります!」などと日本語を話していた。
 しかし知人は日本の統治に苦しんでいた人々の本音に触れることはできなかったようだ。思わす受信料を払いたくなるような番組だったよ。(この投稿は4月7日にアップロードしたが、4月13日に大幅に書き足し&訂正をしたのでageておく)

 1895年、日本は日清戦争に勝利し、初めての植民地である台湾の支配を開始するわけだが、「日台戦争」という言葉ができるほど台湾人の激しい抵抗が続いた。雲林では川を下流から進軍してくる日本軍を抵抗軍が左右から挟撃したが日本軍の反撃は凄まじく、川が血で赤く染まったという。
 日本にとって植民地を得ることは「一等国」への仲間入りだった。当時読まれていた「万国公法」の邦訳版には、「国家のランクは一等国、二等国、三等国に分かれる。一等国はイギリス・フランスなどヨーロッパの強国、三等国は他国の意のままになる国」などと書かれていたという。アジア・太平洋戦争の敗戦後はアメリカにすがりついて延命した日本帝国主義は、最初から欧州の模倣だったのである。
 当時の首相の伊藤博文は「台湾統治は失敗できない」と意気込んでいたが、当時の台湾の重要な輸出品だった「樟脳」をクスノキから抽出する工場は「日台戦争」によって破壊された。フランス政府の「非常に重要な島が全くの未経験者によって支配された。極めて残念」という嘆きが記録されている。

 植民地の住民である台湾人をどのように扱うのか悩んでいた日本政府は、フランスのアルジェリア支配(同化政策)とイギリスのインド支配(徹底した差別、現地だけで通用する法律の制定)を参考にして、両者の折衷案を考え出した。「台湾特別法」を設け、民政局長後藤新平の指導の下に抵抗運動を激しく弾圧した。
 殺人や放火だけでなく略奪や建物・標識・田畑の破壊行動だけでも死刑、未遂でも死刑、警察権力が「匪徒」と見なしただけで死刑になる「匪徒刑罰法」という、台湾人だけに適用される法律によって、統治開始から5年間で約3000人が処刑された。
 後藤新平は「ヒラメの目をタイの目に変えることはできない」と語ったという。台湾人は決して日本人になれないという意味だろう。後藤にとって日本人は「タイ」だが台湾人は「ヒラメ」だった。事実、日本帝国主義は台湾人を人間扱いしていなかった。


GG総Gerauのドルトムントん。

 柯徳三さん(80)の祖父の柯秋潔さんは台湾人学校で日本語を教える一方、台湾総督府の命を受けた地区のまとめ役だった。柯徳三さんは「今にして思えば、父は日本人の走狗と見られていただろう」と語る。
 当時は日本人専用の学校と台湾人専用の学校に分かれていたが、秋潔さんは息子の文徳さんを日本人学校に入学させた。しかし校長会が「日本人学校で台湾人を発見した。直ちに退学させました」と総督府に報告する。
 後藤はこの「台湾人子弟在籍事件」を受けて「日本人の子弟と台湾人の子弟では教育の目的が異なる。こうした規則が守られなければ統治の目的は達せられない」と、全ての日本人学校に対し台湾人を入学させないように通達した。

「もし父の入学が許されていれば、『化外の民』である台湾人がどんどん入学しただろう。台湾人は、喋るのに事欠かず、普通の生活に支障のない日本語が出来さえすればいい、そういうつもりだったんでしょ?」
 と、柯徳三さんは声を震わせながら語った。

 当時のイギリスなど列強は、珍しい動物を見世物にするが如く、博覧会で植民地の民族を「展示」していたが、1910年にロンドンで行われた「日英博覧会」では日本もこれを真似て台湾のパイ� ��ン族を「展示」し、戦いの踊り、模擬戦闘などの演技を行わせたという。日本帝国主義にとって異文化を持つ植民地の住民は人間でなく動物だったのである。それとも欧州列強の真似さえしていれば自分たちがサル扱いされることはない、と思ったのだろうか?
 フランスの歴史家パスカル・ブランシャール氏はこの「人間動物園」について、「当時のヨーロッパ人は、植民地の人間は野蛮で劣っているから教育しなくては、という考えがあった。それを示すのが展示会だ。この『人間には階層がある』という思想に日本も染まっていた」と語る。
 NHK取材班は台湾南部のパイワン族が住む高士村を訪れ、「展示」されたチャバイバイ・プリャルヤンさんの息子の許進貴さん(85)、娘の高許月さん(79)を取材した。彼らの父はこのような仕打ちを受けたことを子どもたちに伝えていなかった。高許月さんは日本語で一言「悲しい」とつぶやき、「この出来事の重さを語りきれない」と述べた。


どのように台湾はデンスを取得します

 こうした支配が続く中、1919年パリ講和会議でアメリカ大統領ウィルソンが唱えた「民族自決主義」の影響もあって台湾議会の設置を求める請願運動が起こった。
 蒋松輝さん(96)さんの父の蒋渭水さんは医者であり、独立運動家だった。法律や予算などは台湾で決定できる自治権を求めて台湾議会設置請願運動に参加した。1921年に帝国議会に請願書が提出されているが、当時の首相の原敬はこれを却下する。原は台湾の自治など断じて認められなかった。「台湾の程度に応じて内地の法律を適用する」という、「同化政策」を構想していたのである。
 帝国議会では原に対して「フランスはアルジェリアでの同化政策を廃止したが?」という質問が出た。フランスはアルジェリアの住民の抵抗によって同化政策をあきらめていた。同化政策など土台無理なことは歴史が証明している。
 しかし原は「琉球はうまくいったじゃないか」と反論した。たしかに日本政府の沖縄支配も異民族に対する同化政策だったが、本気で台湾や朝鮮でも同化が進められると信じていたとしたら実に愚かなことである。当時既に、約500万人の台湾の住民のほとんどが大陸から移住してきた漢民族だったという。

 朝鮮支配が併合直後の武断統治から同化政策へ転換したように、台湾でもこの方針転換によって台湾人の子供も日本人の学校に通えるようになり、前出の柯徳三さんも日本人の中学校を卒業した。しかしクラス50人のうち台湾人はたった二人だった。
 今でも流暢な日本語を話す台北第一中学校の同窓生たちによると、「一中なんか台湾人3%」「日本人より勉強しないと入れない」という実態だったという。台湾人にも日本人と等しく門戸を開いていたわけではないようだ。
 また日本人の生徒からの差別も激しかったようだ。「弁当に豚の角煮を持っていくと日本人に馬鹿にされるんで、母親に頼んで玉子焼きなどが入った日本風の弁当を作ってもらった」

 彼らは口々に日本統治時代に受けた差別を告白する。


どのくらいのマーシャルプランの援助は、ベトナムでフランスに行きました?
「俺の父は一番下の判任官で給料は100円だったが、内地人は同じ役職でも160円だった。同じ職場で同じ学校を卒業したんだけれど」
「ある女性が内地に渡って日本人と結婚したんだけれど、戸籍に入れてくれなかった。これは差別でしょう。最後まで台湾人の身元を隠さなければならなかった」
「みんな医者になりたかった。技術次第では勝てるから」
(つまりよっぽどスキルを積まなければ日本人と競えなかったということだろう)
「台湾では、日本人が一等国民、琉球人が二等、台湾人は三等」
(日本時代をどう思いますか?と質問されて)「いやだなあ、いやだ。差別だ。馬鹿にしよって」
 このように日本政府は決して台湾人を日本人扱いしようとはしなかった。「同化政策」とは台湾人を日本帝国主義に従順に従わせるだけが目的だったのである。これは朝鮮支配と全く同じだ。

 1923年4月、皇太子(後の昭和天皇裕仁)の「台湾行啓」が行われた。「遠く離れた台湾の民にすがるべき主君を知らしめる」ことが目的だったという。蒋渭水さんはチャンスとばかりに裕仁が通る沿道に、
「恭迎鶴駕(恭しくお迎えします) 台湾議会請願団」
 というノボリを立てることを計画したが、直前に発覚し警察に拘留され、計画は失敗した。
 14日間、決められたコースだけを回った裕仁の「台湾行啓記録」には、「台湾人は日のいずる国の民としての自覚に歓喜し、今や朝廷の忠良な民となった」などと寝ぼけたが記されたという。
 結局、台湾議会請願運動は14年間続けられていたが実現に至らなかった。台湾人の歴史家は「日本が台湾人の自治を認めていればアジアで尊敬されただろう。日本の分岐点だった」と指摘する。(これはチベットの「高度な自治」を決して認めない中国政府にも聞かせてやりたい言葉だ)

 1937年からの日中全面戦争によって、「内地」も植民地朝鮮・台湾も戦時体制へと移行した。当時の台湾総督の小林躋造は元海軍大将軍人出身であり、「500万島民が一丸となって等しく皇国民たる資質を体得するを要す」と号令した。こうして「皇民化」政策が開始され、日本語の強制、神社参拝の強制、「改姓名」が行われた。
 当時台湾総督府の官僚だった田宮良策さん(98)は、によると、「日本語を話せない人は(バス乗車を)ご遠慮下さい」という馬鹿げた通達が行われたという。「日本人は数から言えば微々たるもの。台湾人が集まれば自然と中国語が出る」
 軍の幹部に「実情を話し、もう少し方法を変えてもらえないか?」と意見すると、その軍人は田宮さんを「非国民め!」と罵り、軍刀のツカに手をかけ抜く構えを見せたという。
また、この時期に朝鮮半島では「創氏改名」が行われたが、台湾では「改姓名」が行われた。
台湾人の公務員は昇給のために仕方なくこれに応じたという。林(リン)という姓の老人は、林(ハヤシ)という名前で通そうとしたが許可されず、「大林か中林か小林にしろ」と指導されたと語る。


 さらに各地に神社を造って参拝を強制し、伝統的な宗教儀式に弾圧が行われた。道教寺院や廟に詣でることを制限するだけでなく、宗教的な建築物・文化財が破壊された。
 1938年、雲林のある村では「神々の像」が集まられ破壊された。各家庭にある像を役所に提出することを命じられ、従わなければ約1ヶ月間投獄されたという。
 このように日本帝国主義は台湾でも朝鮮でもインドネシアでもカルト宗教を強制したわけだ。オウム真理教を押し付けるようなもんだな。北朝鮮が日本を占領して金正日崇拝を押し付けるようなもんだな。

 若き日を日本統治下で過ごした「一中」の同窓生たちは、

「しゃべるのも日本語、飲むのは日本酒」「中国語では、とてもいま話したようなことはしゃべれない」「頭の中のコンピューターが日本語になっている」
 と語る。日本の支配がもたらした取り返しの付かない傷跡が深く残っている。
 アジア・太平洋戦争では、朝鮮も台湾も解放しようとしないのに「アジアの植民地からの解放」というスローガンが掲げられ、台湾でも約21万人の若者が島内各地の訓練所で「軍人精神」を叩き込まれ、南方の戦場に送られた。柯徳三さんは軍の医学部に進み海軍に配属された。訓練中にアメリカ軍の爆撃によって大勢の台湾兵が殺されたという。
「みんな喜んで天皇のために死んだ。死んだ奴こそ災難だよ。海軍の軍属も、戦争が終わって帰れると思っても帰れない。マラリアで死んだのか殺されたのか分からない。未だに分からない。骨もない」
 これは、「マラリアで死んだと言われているけど何らかの形で日本軍に殺されたのかもしれない」という意味だろうか?それとも「戦場で病死したと言うべ� ��なのか、日本軍に間接的に殺されたと捉えるべきなのか、俺の中では未だに整理がつかない」という意味だろうか? 

 戦後、国共内戦に敗れて台湾に逃げ込んできた蒋介石の国民党政権は、台湾人を「日本人の奴隷になった」と非難した。国民党との衝突によって多くの台湾人が処刑されたという。
 台湾人は日本帝国主義に好きなように利用され、突然捨てられ、今度は国民党から迫害を受けるのである。"元日本軍兵士"たちはカメラに向かって教育勅語を暗唱してみせ、日本への憤りを吐露していた。


「俺たちはみなしごになって捨てられたみたいだ。人を馬鹿にしてるんだ日本は」(横にいる仲間に向かって中国語で「間違ってるか?これ嘘じゃないよ。本当のことだ」)
「日本の若い連中は分からないだろうけど年寄りに言って下さい。宣伝して下さい。
台湾の当時の若者はいかに日本の民と協力して尽くしたかを。心を察してもらいたい。命をかけて国のために尽くしたんだよ。それなのに・・・」
 このように日本は台湾に対しても朝鮮のような厳しい植民地支配を行い、差別を続けていた。当時を知る老人たちは日本の支配への憤りを、裏切られた憤りを隠さない。「台湾は親日」なんて言ったのはどこの馬鹿だ?
 番組の最後に前出のフランスの歴史家パスカル・ブランシャール氏が、
「他者と共有できる歴史をさぐらなければならない。『正しいのは自分で、他人は間違えてる』などと言ってはならない。なぜアジアの国々は日本をこのように見るのを、理解しなければならない」
 と語っていた。
 俺たち日本人は朝鮮・大陸中国だけでなく台湾に与えた加害の事実も決して忘れてはならない。そして、日本の戦争を美化しようとする勢力を打倒し、侵略戦争の原動力となって植民地の住人に「皇民化」を強いていた天皇制を廃止し、日本帝国主義との決別を示さなければならない。

※おまけ: この投稿のコメント欄(どっかからコピペしたらしい)には柯徳三さんの著書が紹介されていて、「柯徳三さんは反日ではない、あの番組の構成がおかしい」などと書いてある。よーするに「NHKの番組は捏造、台湾は親日だ!」と言いたいんだろう。
 俺はその本読んだことないから何とも言えんが、日本統治時代のエリートだった柯徳三さんには日本時代を懐かしむ気持ちがあるかもしれない。しかし一方で差別的な統治と戦争への動員への憤りは消えないようだ。ネトウヨの頭の程度だと矛盾に見えるようだけどね。
 つーか「反日」「親日」という区別もアホらしいが、台湾は少なくともネトウヨの幻想の中にあるような「親日国」ではないようだね。つーかそんな国は世界中どこにも存在しないよ。



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